エジソン最大のライバル・テスラ【電流戦争】

「ニコラ・テスラって聞いたことあるけどどんな人?テスラ・モーターズや単位のテスラとは関係あるの?」

そんな悩みを解決します。

今回はニコラ・テスラについて紹介します。

僕の物理学の勉強歴は12年ほど。研究者として生計を立てつつ、サイエンス・エバンジェリストとして科学技術を世間に伝えるための教育活動もしています。男子と自称していいのかは微妙ですが、多めにみてください。

物理といえば自然現象の法則を探求する学問です。人間社会とは切り離された学問といえるでしょう。そんな僕が近代史に興味が湧き始めた理由は、科学史を学び始めたことです。歴史を知っていると、科学や技術を学ぶときにより一層の楽しみを感じることができます。

それではみていきましょう

発明王エジソンの最大のライバル

発明王エジソンですが、電流戦争という技術戦争でテスラと争うことになります。そして、最終的にはテスラに屈することになります。のちにも同時にノーベル賞候補にノミネートされるなど、エジソンとテスラはライバルといえるでしょう。

エジソンはアメリカ・オハイオ州出身の発明家です。20代の頃に投票機などの発明で取得した特許権を売り資金を得ます。そして、ニュージャージー州メンロパークに研究所を設立します。これがGEの源流です。ここで、Collective Geniusという発明家集団をマネージメントして多くの商品化をおこないます。その後、JPモルガンの出資を受けてGEを創業しました。エジソンは発明王としても名高いですが、発明したものの多くに改良発明や盗作疑惑などが多くあるため、色々な評価を受けています。個人的には技術を世の中に広めたという貢献は大きかったのだと思います。

テスラは自らの技術で挑戦するため、28歳でヨーロッパからアメリカに渡りました。渡米直後にテスラはエジソンの会社に採用されます。しかし、数ヶ月でエジソンと技術的に対立して退職しました。そして、電流戦争へとつながっていくのです。

トーマス・エジソン

  • 19世紀後半〜20世紀前半(100年前くらい)の”発明王”、”努力の人”
  • 電話機、蓄音機、発電機、キネトスコープ、白熱電球を発明
  • 世界最大メーカーGEの創業者
  • 特許の運用が凄いため”訴訟王” とも呼ばれる

ニコラ・テスラ

  • 交流電流方式、蛍光灯、無線システム、誘導モータを発明
  • 電流戦争ではウェスティングハウスと手を組み交流電流方式を確立した
  • 磁場の単位テスラの由来
  • テスラ・モーターズ社の名前の由来

電流戦争

1880年代から「電流戦争」が勃発しました。この戦争は技術的な戦争です。主に電力システム(発電や送電など)において、直流を用いるか交流を用いるかという戦いでした。エジソンは直流電流、テスラは交流電流をそれぞれ推しました。そうです、エジソンvsテスラの戦いだったのです。

直流 vs 交流

エジソンは当時「直流」による電力事業を推し進めていました。しかし、テスラは「交流」による電力事業を提案します。これによりエジソンと対立して職を失ったのです。

エジソンとの対立で職を失ったテスラですが、テスラは屈することなくテスラ電灯社を設立して、交流システムの特許を取得します。さらにウェスティングハウス社との連携によって交流事業が成功していきます。

泥沼化したプロパガンダ工作

エジソンは交流に悪い印象を与えるプロパガンダ工作をおこないました。動物を交流電流で殺すところを見せることで、交流の危険性を印象付けました。また、死刑囚の処刑に交流電流の電気椅子を使いました。

ナイアガラの滝の決闘

エジソンとテスラの直接対決となったナイアガラの滝のエドワード・ディーン・アダムス発電所にて、交流発電機が採用されます。このときの委員会では、絶対温度でお馴染みのケルビン郷(ウィリアム・トムソン)らが参加し、JPモルガンやロスチャイルド家などが支持していたようです。

交流の勝利

結果、交流が勝利することになりました。このナイアガラの滝発電所から、流れは大きく交流側に向きました。1893年のシカゴ万博で、ウェスティングハウス社が交流システムによって電力をまかないます。これが決定的に交流勝利を印象付けるものになりました。

現代でも、発電所や送電システムは交流が使われています。家のコンセントは交流ですよね「AC 100V」などと書いてあると思いますが、ACとはAlternating Current(交流)の意味です。

また、交流を利用したモーターである誘導機(誘導モーター)は世界で最も使われているモータになります。この誘導機を発明したのもテスラです。

もう少しテスラに詳しくなる

交流発電機の他にも、誘導モーター、高圧変換器(テスラコイル)、無線トランスミッターなど多くの装置を開発しています。

テスラは国際的な生い立ちです。両親はセルビア人で、オーストリア帝国の街(現在のクロアチア)で生まれます。大学はドイツのグラーツ工科大で学び、チェコのプラハ大学へ留学したりします。ハンガリー、フランス、アメリカと技術者として各地でキャリアを積みました。なんとフランスにいる間、プライベートで研究を続けて誘導モーターを発明しているのです。まさに、在野研究者ですね。

電流戦争では勝利したテスラですが、晩年は金銭苦だったそうです。独身で過ごし、マンハッタンのホテルで死去しました。

最後に

今回はニコラ・テスラについて紹介しました。テスラを語るには電流戦争は無視できないですね。この電流戦争は、科学技術的な視点だけでなく、プロパガンダや特許などとの科学技術の関わりが学べますね。

電流戦争をテーマにした映画『エジソンズ・ゲーム』についての記事も書きました。

エジソンズゲームを科学技術で解説

電流戦争を取り上げている小説が面白いです。

[グレアム ムーア, 唐木田 みゆき]の訴訟王エジソンの標的 (ハヤカワ文庫NV)

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